キーワードから考えるオリンピックまで7年という捉えと批判と

東京オリンピック開催決定から3日

マスコミは7年後のオープニングセレモニーがどうした。7年後のあれがどうした。と東京オリンピック関連の報道が活況だ。経済ではオリンピック需要を見越した関連産業の株価が上昇し日経平均を押し上げる結果にもなった。

しかし私は、このオリンピックが決まってからの数日の報道を始めとした各所から発信されるキーワードがどうも気に入らないのである。そのキーワードは

「7年後」

このキーワードについて色々な事が言われている。
7年後の自分がどうあるべきか、7年後自分は何をしているか、単純なところで7年後自分は何才なんだ。様々な事を考える為のキーワードになっている。ソーシャルの中では7年後をキーワードにしたアプリを作りたい。と言っている人もいた。それは一向に構わない。やりたい事はやったらいい。

しかし、「のんき」すぎる。
7年後までに今抱えた問題を解決すれば良いと思っている人の多さと言ったら驚くほどである。日本人の「のんき」な様には本当に驚くし、知らなさすぎると言う事にも驚く。

実は7年後では拙いのである。何が拙いのか。遅すぎるのだ。
次期2016年にリオデジャネイロで開催されるオリンピックの前後に東京はIOCから準備状況のチェックを受けることになる。安倍総理がプレゼンテーションで大風呂敷を広げた「フクイチ関連」の処理に目処がつき結実した何かを見せる事ができなければ国際的議論の的となってしまう。

どんな議論か・・・

「福島の件を原因とした2020年開催地変更議論」あるいは「2020年中止論」だ。

これは現在進行形の前例がある話である。
2016年リオデジャネイロ開催の準備遅れに関して昨年2012年のIOC総会やIOCによる3回目の現地調査でケチがついたのだ。競技場建設や環境整備などに遅れが出ている事が判明、それ以外の諸問題の解決が遅れているということで2016年開催地変更論や中止論がIOC内部から噴出した。今でもリオデジャネイロ開催に関してはIOCの頭痛の種だ。リオデジャネイロ開催失敗論まである。

これは東京開催においても同じ事になりうる可能性を否定できないと言う事になる。
という事は「7年後」に形になれば良いという考え方では、どうもこうにも遅いとなる。実際には次にオリンピックに注目の集まる2016年に合わせて物事進めていく必要があり、そこで大風呂敷を広げることなく準備の進捗状況・福島を始めとした諸問題の解決状況に関する国際的なアピールをする事になるわけだ。

そうなれば、残された期間は既に3年を切っている。

「フクイチ」を始めとする福島の諸問題の解決
首都東京の再整備
新設競技施設・環境整備への動き
大会運営に関するプランニング

こうした問題に1つでも遅れが出ればIOCからの不満や諸議論噴出する事は間違いない。
そうならない為にも東京都と政府がそれぞれの役割に応じた動きを取ることになる。併せてその役割に応じた招致プランよりもさらに進化したアクションプランを内外に示す必要にも迫られる。以後の事を考えればアクションプランを作るのに1カ月ないし2カ月。それを実行に移すまでに3ヶ月。このぐらいのスピード感を持った行動を迫られる。とりわけ福島の問題はオリンピックに関わらず解決を急がれる。

実行に移すまでの期間を上手く乗り切ったとしても残りは2年半と少し。
その間に結実した形を見せる事が出来るか。財政力の問題でもなく技術力の問題でもなく東京都、そして日本という国がプライドをかなぐり捨てて現状考えられる内外全ての英知を結集しそれにあたる事が出来るかという「やる気」を試されるわけだ。

前のエントリーにも書いたが、投票に福島の件が影響しない様にIOC会長ジャック・ロゲは「大事なのは今ではない開催される7年後に東京がどうなっているか。福島がどうなっているかが大事なんだ。」と、IOC委員に釘を刺したと言われている。副会長クレイグ・リーディは「東京は福島の問題に取り組んでいる。五輪が行われるのは来週ではないだろう。」と汚染水漏れを問題視しないとする考えを示した。

東京都を始めとした3都市の開催適格を諮る投票だったとしても東京を中心とした日本全体を見られたことに違いない。そして、投票に関わったIOC委員が福島という事を考えなかったとも思えない。東京であり日本にIOCという国際組織が様々な側面から期待をした結果が開催都市当選だ。

であるならば感情任せにオリンピック開催決定という事実を批判せずにその国際社会の期待に応える為に日本が一つになって、この2年半ないし3年という期間をその動きに国民一人一人がそれに協力する事は出来ないだろうか。その2年半・3年の事実の積み重ねを見て、明らかに間違っていたならばその間違っていた事実、動きが遅いならば動きの遅い事実に対し感情は抜きにして事実のみを批判をすればよい事だと私は思う。その時は先般のブラジルのようにデモでもなんでもやればいい。

オリンピック開催が決定してからの数日、色々な論調を見ていると感情と事実が折り混ざった批判がソーシャルメディアを中心に散見される。感情と事実の折り混ざった批判をするのは日本人の悪癖だ。起きている事実に批判すべき点があるなら批判をするべきだがそれは感情を抜きにした方が良い。

ただ、批判から何か生まれるかと言えばそうではない。今回の件で何かを生み出そうと考えるならばオリンピック開催決定という既成事実を上手く使うべきだ。そうしないと、この日本の「真の再生」は見えてこないのではないだろうか。「事実とは上手く使う為にある。」そう考えるべきだ。

とにかく、長く見積もっても残された期間は3年だ。
日本という国が国際社会から試される3年だ。
日本全体が漫然と過ごすことが出来ない3年だ。
事実と感情の折り混ざった批判だけに終始してはいけない3年だ。
批判が過ぎて3年という期間を無駄にしてもいけない。

本当のキーワードは「リオデジャネイロまでの3年」だ。