楽天イーグルス優勝までの道のりを振り返る

東北楽天ゴールデンイーグルス優勝しましたね。

球団創設9年。長かったのか短かったのか。
2004年、大阪近鉄とオリックスブルーウェーブが球団合併をを表明してからの再編騒動の中、新規参入争いをライブドアと争い制したのが楽天だった。

制したと言うよりはある翁の力の因るところの出来レースだったのかもしれないが。

初代監督は中日、西武、阪神で人気実力選手だった田尾安志
大阪近鉄の球団廃止に伴い「分配ドラフト」が行われ楽天ゴールデンイーグルスに参加したのが40人。他球団を自由契約になり行き先を探していた山﨑武志、飯田哲也、関川浩一なども参加、ドラフトでも一場靖弘など6選手を指名。最後に分配ドラフトでオリックスに行き先だけが決まっていた岩隈久志を金銭トレードという形で獲得し球団の形が出来上がった。

楽天イーグルスとしての初公式戦は千葉ロッテに対して勝利をしたものの翌日のゲームは「0-26」というスコアで大敗。その後も戦力不足、戦力の偏りという面は否めなかった。結局、2005年は借金59という成績でシーズンを終える。このチームが優勝する成長を遂げられるのだろうかという想像が全くつかなかった。そのままでこのチームが持ち堪える事が出来るのだろうかという不安もあった。

2005年シーズン後に成績不振の責任を取り田尾がチームを去る。
後任としてチームを託されたのは名将 野村克也だった。野村克也がチームを去るまでの4シーズンは順位こそ「6⇒4⇒5⇒2」と振るわなかったが田中将大のドラフトでの獲得・育成を始めとして現在のチームの礎を作り上げたと言えるのかもしれない。

2010年、広島から移籍をしてきたブラウンを監督に迎え6位。そして2011年に闘将星野仙一が監督に就任。2011年は5位、2012年は4位と順位は野村監督最終年の2位には届かないがチームの実力は増してくる。2011年シーズン後には岩隈久志ののMLB転出・山崎武志の戦力外など球団創設時から支えた選手がチームを去ると言う事もあったがそれを上回る選手が出てきて、それを上回る補強のできるチームに生まれ変わっていた。

そして2013年
4月27日の西武戦で球団創設8シーズン目にして球団通算500勝。セパ交流戦は優勝ソフトバンクホークスと0.5ゲーム差の2位。6月に球団初のレギュラーシーズン首位に並べば7月6日には単独首位。前半はそのまま首位で折り返し、8月28日にはマジックナンバー28が点灯。そのまま首位を守り切り9月28日2位ロッテが敗れ、楽天が西武ライオンズに勝利し優勝が決定した。

長い実績もない、球団創設8シーズンでAクラスは1回。4位1回、5位2回、6位3回。
そのチームが2013年内に秘めた力を思う存分発揮し初のリーグ優勝を果たした。硬直した日本プロ野球の新しい扉を開く何かだったようにも思う。

まだクライマックスシリーズがあり、日本選手権シリーズの出場権を得た訳ではない。
楽天がクライマックスシリーズを制し選手が日本選手権シリーズで躍動する姿を見てみたいと思う野球ファンは多くいるのではないだろうか。もちろん私もその一人だ。

そして、監督 星野仙一の日本一の胴上げを見せてくれるものだろうと信じている。
それにしても今年の楽天は強かった。