何かに囚われるのは止めにしてみた。

自分で何となく決めた心を休める期間も終わろうとしている。
だからと言って体を休めていたり、仕事を休んでいたりした訳ではない。

これまで気にし過ぎていた枝葉末節の事から解放される為に雑音を目からも耳からも入れないようにできるだけ心の動きが無い様な生活を心がけていた。ここ数年、枝葉末節の事に囚われ過ぎて疲れ過ぎてしまう傾向が強くなっていたので心を休める為にも自分を枝葉末節の事から解放してみようと思った。

いつの日からか枝葉末節に囚われ過ぎて何もできなくなっていた。
正直、枝葉末節を気にするあまり目の前のものしか見えなくなっていた。
目の前のものを処理する事だけにしか気が回っていなかった。
自分ではそんな事どうでもいいと解っていながらも色々なものを気にし過ぎていた。

結局は追い込まれていたようだ。

枝葉末節の事から解放する為に心を休めてみると以外に物事が見えてくる事に気づく。
日々見ている様なニュースもどこか違う視点から見えてくる。1つのニュースだけ抜き取って考えてみても以前とは全く違ういくつもの見方が出来る。枝葉末節に拘らない事で本質により近づくと言う事なのか些細な事が見え過ぎていたのか分からないが、こんな気づきがあるとは思わなかった。

現代の生活の中で如何に枝葉末節の事が作用するかという事をまざまざと思い知らされた。
兎角、現代社会の中では枝葉末節に気を取られるばかりにそれに思考を支配されてしまう。特にSNSというツールが生活の中で大きな役割を果たしてくるようになるとそれが生活の一部まで支配してしまう。

そんなところまで行きついてしまっている人はいないだろうか。
これは私の勝手な思い込みだが多くの人がそんな枝葉末節に支配されてしまっているかもしれない。
時に枝葉末節というのは悩みを増幅させ追い込んでしまうところまで行ってしまう。

そんなくだらないものに支配され、余計な悩みや自分が追い込まれてどうしようもなくなるなら一度、思いっきり心を休めて枝葉末節に囚われない時間を創ってみてはどうだろうか。

枝葉末節なんてくだらないものに囚われて見えなくなってしまっていたものがきっとまた見えてくるはずだ。