箱根駅伝

2014年初稿。

これまでの本業がらみのブログを書いていた時は何としても1月7日まで書きたくなかった。というよりも1月7日まで書く事が無かったという方が正確か。

 

確かに、どんな業界でも松が明けるまで本格的な動きは見られない。私のが今、身を置く業界もそんなところか。無理やりに動きをつけようとすると大晦日元旦関係なく動きをつけられるわけだが、私の流儀に反するので一切そういう事はしなかった事も1月7日初稿に起因するのかもしれない。

 

俗に言う「仕事系ブログ」から脱却をしたこの正月。初稿は1月3日になった。

ところで、私の正月と言えば箱根駅伝箱根駅伝と言えば正月である。往路は7:00、復路は7:50には普段はあまり真剣に観る事の無いテレビの前に陣取り箱根駅伝観戦に興じるのだ。関東の大学駅伝部の学生たちが「正月は箱根にあり」と言わんばかりの勢いだ。

 

2014年の箱根駅伝

興味はただ一点。大学3代駅伝と呼ばれる出雲と全日本で優勝した駒沢大学と両大会共に2位だった東洋大学が「どんな鍔迫り合いをしてその末はいかに!」というこの一点だった。

 

東洋は往路に大きな勝負をかけに来た。1区に田口、3区に設楽悠太、5区に設楽啓太という日本大学陸上界のスーパースターを揃えてきた。もちろん駒澤も今年の大学3大駅伝のうち2つを勝利した強者揃い。とは言え東洋の往路は強すぎた。

 

序盤1区は鶴見を3位で襷渡しをし、花の2区は戸塚を2位で通過、そして設楽悠太の3区は1位で平塚で襷渡し、4区も1位で5区の設楽啓太に襷を渡してから1度も走行順で1位を明け渡すことなく、芦ノ湖の往路ゴールそして大手町読売新聞社前の復路ゴールまで駆け抜けるという見事な完勝だった。

 

ゴールしてみれば往復で東洋大学の持つ10時間51分36秒に迫る10時間52分51分という驚異的なタイムでの総合優勝だった。昭和39年東京オリンピックの行われた年の箱根駅伝は11時間33分34秒というから実にこの50年で40分以上その時間は短くなったことになる。

 

それだけ大学駅伝も高速化し、世界のスピードに追い付いてきたという事になるのだが次の東京オリンピックまでの期間でどれだけタイムが縮まってくるのか楽しみになってきた。

 

ところで、山の神としてその名を馳せた東洋大学OBで富士通陸上競技部柏原竜二選手が5区を走っていた頃、他校の監督は「柏原は追いかけるな・付いていかなくていい」と指示を出したそうだ。それだけ東洋大学のスピードが速いとも言える。今回の2位駒沢大学も東洋大学には総合成績で4分34秒の差がついている。

 

復路10区を走った大津、同じく6区を走った日下、そして往路を走った設楽兄弟という早い東洋大学を支えた選手が卒業をするものの来年以降も東洋大学が高速化した箱根駅伝を支える事は間違いない。もちろん東洋大学から来年以降も目が離せない。

 

ところで、今回の箱根駅伝。レース以外のところで珍事件が起きた。

1月2日のテレビ実況の中で出演者が「柏原竜二亡き後・・・」と言いかけ慌てて卒業と言い直した場面があった。1月3日には移動中継車解説の瀬古利彦氏も同様のミスをしたという珍事があった。

 

この件に関し当の柏原竜二選手は

さらに柏原選手は

こう続け、さらに

そして・・・。

という場外での珍事があった。

実況という感動を伝える場面では言い淀んだり、言葉使いを間違えたりという事がつきものと言えばつきものだったりするが、こうした間違いはちょっといただけない。それだけ実況を担当しているアナウンサーも興奮しているという事なのだろうが・・・。

 

ある意味シュールな柏原選手のツイートが話題になってフォロワー数が一気に1万を超えるというちょっとした珍事もあった第90回の箱根駅伝でもあった。

 

そして箱根駅伝のテレビ中継をしている日テレさんに一言。

箱根駅伝中継のテーマソングがオリジナルのものに変わりましたが・・・。
やっぱりオープニングはネバーエンディングストーリーの喜びの飛行とトミーヤングのI must go!ではないだろうか。正直I must go!じゃないと3が日は締まらない。


I must go - YouTube

という事で2014年初稿は締まらない箱根駅伝の勝手な振り返りという事でした。