あるタレントのFacebook投稿から考える箱根駅伝不要論に関する雑感。

タレント武井壮Facebookに投稿したpostが大きな話題になっている。

内容を読むと箱根駅伝不要論をばっさりと切り捨てた内容だ。
 

上記投稿を読んでコメントを見てもらえば分かる通り賛否様々なコメントがされている。中には2日間に渡り完全中継をする日本テレビを批判するものや関東学連のローカル大会である事を理解していない関西排斥といったものもある。他にどこかお門違いなモノもあるが、総じてソーシャルメディアというもが上手く働いているという様を見た気がする。

 
箱根駅伝批判というのは何か責任回避という色が強いように見えてしまう。
例えば、関西排斥もしくは関東集中という批判。これは箱根駅伝という長きにわたって育ててきた関東学連や関東の有力大学に対する批判である事は容易に理解できるのであるが、単純な話として箱根駅伝のようにローカルだけどメジャーな競技会を育てなかったエリアごとの学連にその責があるようにも思えるし、関東以外の大学がそういう大会を育成する努力を怠ってきただけのようにも見える。関東以外のエリアにもそういう大会が存在し魅力的なものであればこうした批判は成り立たない。 
 
マラソン選手の育成のために金栗四三という人物が提唱して始めた箱根駅伝ではあるがマラソンという競技が箱根を走っている選手たちにとって魅力的なものであるのか。
 
日本男子マラソンの不振の理由を如実に物語る一言を箱根を走りSB食品陸上競技部で活躍した、城西大学陸上競技部監督の櫛部静二はあるインタビューでこう語る。
そもそも、いまの学生はマラソンに魅力を感じていないんですよ。*1
これに集約されるものであり箱根駅伝とは全く関係が無いとも言えるにも拘らず日本男子マラソン不振の理由をそこに無理やりに結びつけることで箱根駅伝批判しやすくなっている事がよくうかがえる。その証拠に箱根駅伝での燃え尽き症候群なんて事も声高に言われていたりもする。
 
スポーツというのは選手のスキルと指導者の資質やスキルが全てである。箱根を走ってきた選手は能力だけ見れば超一流。大学の卒業後を引き継いだ指導者に問題があるとしか言えない。私も長くスポーツに関わり指導者として選手育成をした立場から言えば選手の能力を活かせないのは指導者の責任であり、そこを箱根駅伝に結び付けてしまうのはどうも責任転嫁としか思えないのである。
 
ところで、先述のとおり箱根駅伝を批判する中で2日間完全中継する日本テレビに対する批判も多く目にする。日本テレビが完全中継するまでの間はテレビ東京がダイジェストとゴールのみの中継を行っていた時期があった。
 
それは、放送技術が箱根の中継に対応できないというものであったからだが当時日本テレビの坂田信久をはじめとした多くのスタッフが可能にしたこと、放送内容をただのスポーツ中継ではないスポーツドキュメントにする事にこだわった事が分かる書籍がある。
 
箱根駅伝テレビ中継を批判する人たちは是非読んでみてはどうだろうか。どうしても批判があるのであれば先ずはこの書籍を読んでみることを薦めたいと思う。

 

「箱根駅伝」―不可能に挑んだ男たち

「箱根駅伝」―不可能に挑んだ男たち

 

箱根駅伝不要論を見ていると、改めて日本人の批判の仕方というのが如何に的を得ていないかというのがよく分かる思いがした。 

*1:「フライデー」2013年1月18日号より