大雪関連の批判を見て思う。

日々の徒然を書くと決めてからとどこか気が楽になっている。

ブログまでソースを絞り込みそのソースに関してネタを詰めていかなくても良いというのはどれだけ楽な事か。むしろ、モノを書くにあたって筆が進む要素というのはここにあるのかもしれない。

 

さて、この度の関東の一部と甲信地域での大雪。

まだ現在進行形であるがお見舞いを申し上げたい。慣れない雪であるにもかかわらず扱った事の無い量の雪に見舞われた人々の苦労は如何ばかりか。雪降る北の大地に住んでいても想像を絶する。富士河口湖町では14日の降り始めから15日11時までに143センチの降雪を観測したという。それは予測の3倍を超えるものだった。

それほどの降雪量は北の大地の住人である私も記憶にない。

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そんな時、傍から見ている人間は本当に無力だ。

傍から見ていても何もできない。無力だ。出来る事があるとすれば早期の問題解決を祈る事と被災された人の無事を祈るくらいだ。しかし、そんな時に限って外から見ている人間から変な批判が巻き起こる。何故そのタイミングでその批判なのだろうかというものが多い。首相動静に関する批判だったり報道に関する批判だったり。

 

それらの批判は何らかの感情が増幅されて批判が起こるのだが、そうしたものほど多くの人の感情にストレートに刺さりその広がりは大きくなる。しかし、その批判は的を射ていないだけではなく極めて無責任である事も多い。

 

その様な批判に何か生産性があるかと言えば何もない。

何故生産性が無いのか。それは、無責任であるからに他ならない。

批判をするなら批判の仕方から勉強した方が良い様に思うのは私だけだろうか。

批判する前にそれより生産性の高い事があるのであれば行動に移すべきだろう。