3年目に思う
3回目の3月11日
未だ将来の形見えず。力を持つ人たちの描いた形ありきの張りぼても形にならない。
そこに住まう人々は自分の棲み処の形を描くことも出来ない。
マスコミは当時の映像と画像をつなぎドキュメンタリーやドラマを作るばかり。
伝えるべきはそこに住まう人々の今を生きる声。何を想い、何を希むのか。
クローズアップされない声。全ては「声」にあることを忘れてはならない。
机上の空論や識者の論では何も進まない。
先の見えない日々をいつまでも続けさせてはいけない。
見るべきは本当の姿。聞くべきは識者ではなく住まう人々の声。
そこに住まい生きる人々の本当の声を聞く日が早く来ることを祈るばかりなり。