「等」「など」という言葉

先日、ある取引先からこんなメールが来た。

「今回の案件、○○○等のため対応が出来ません。ご了承ください。」

よく目にする体の文章だ。私はこの表現が大嫌いだ。

 

なぜ大嫌いなのか。主な理由はたった一つ。

その対象を暈し且つごまかす事が出来るからだ。

さらに、「総合的な判断で・・・」なんていう様に続けられるともう最悪である。

対応できない理由が全く分からなくなる。分からなくなる事を狙って諦めさせようとしているのかもしれないが・・・。

 

私がこれを極力使わないようにしているからかもしれないが、この「等」とか「など」という言葉を見ると途端にメールの送信者や文章の発信者をツッコミたい衝動に駆られてしまう。発信者側から見れば実にいやな奴だ。

 

しかし、文脈を考えた時に「等」「など」という言葉に暈された裏側に実は重要なファクターが隠されていたりするものだ。その重要なファクターを知りたいがために

「等」とか「など」の指し示す内容を説明して欲しい。

という、したくもないツッコミをしてしまうのだ。ツッコミをしている側はそこを知りたい一心だが、ツッコまれる側にとっては面倒臭いに違いない。

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しかし、よく考えたらわかる事だが相互理解を生むためには発信する内容を暈さないほうが良いに決まっている。仮に発信できない内容が含まれる事柄であれば発信できる内容に限って発信をすればいい事で、その内容だけで相手に理解をしてもらえるようにスキルを磨けばいいだけの話だ。

 

以前、そんなメールが来た時にツッコんでみたところ「等」とか「など」という言葉の指し示す内容が無いにもかかわらず「○○等の理由により」という言葉を使っている事が分かったなんて事があって酷く呆れた事があった。

それを指し示す内容が無いにもかかわらず「等」とか「など」という言葉を使うという事は、それらがただ単に文章を都合よく構成する為の言葉でしかないという事だろうか・・・。

 

「等」とか「など」という言葉。

相手と良好な関係を保ち続けたいのであれば、出来れば使用を避けた方がいい言葉に違いないと私は思っている。