何でも教えてもらえば出来るようになるのか
という様な事をここ2・3日考える事がある。
私が、これまで書き残してきた様々なブログ、ある紙面の片隅を預かった時の記事などを見てくれた人からこんな事を言われる事が間々ある。
こんな風に文章を書けるのは何処かで教えてもらったからですか。
教えてもらったら出来るようになりますか?
そんな事がここ最近続いたからなのだが・・・。
別にどこかで文章の書き方を教えてもらったわけでもなければ、文章の構成や表現技法なんてものを教えてもらった事はただの一度も無い。どちらかというと「下手の横好き」というところだと思っている。その「下手の横好き」が功を奏して紙面の片隅を預かる事になった事もあっただけだ。
要するに偶々。私の場合はそういう事だという事でしかない。
そんな折、こんなツイートが強烈に心に刺さった。
私は創作を学ぶとは独学が基本で、教師ができる事は独学者のサポートに過ぎないと考えてます。なので全ての人間が同じカリキュラムを学べば作家や漫画家や映画監督になれる事はあり得ないと思います。
— 竹熊健太郎《編集家》 (@kentaro666) 2014, 5月 26
文章を書くという事を例に話を進めると・・・。
近頃では文章の書き方を教えるという事を業にしたり、ブログの書き方を教える事を業にしている人もいる。それらを業としている人は、書くという行為に役立つ技法や手法という物を伝えているにしか過ぎない。あのツイートで言うところのサポートともいえる。
しかし、人間というのは不思議なもので、それらを業にしている人に何か伝えてもらうと、急に文章を書けるようになったり、おもしろいブログを書けるようになったと錯覚してしまうから面白い。例えばその類のセミナーに参加した後の高揚感はその錯覚の最たるではないかと思う。
私は先述の様な質問を受けたら先ずこう答えることにしている。
何でも人に教えてもらったら何でもできると思う人は、何にも出来るようにならないと思う。先ずは自分でやってみる事。やり続けてみる事。そのプロセスの中で誰かに教えてもらうのではなくアドバイスを乞う事。
私もそのプロセス真っ只中です。
誰かに教えてもらって急に効果がでたり、教えてもらった事が急に上手くなったりなんて事はありえないのだ。だからこそ「下手の横好き」で、やり続けること。これが必要なんだと思う。
なんて事をつらつらと・・・。
結局のところ、興味を持ったらやり続けるという事。
それしかないのだろうと思う。