子供のSOSをスルーしちゃダメでしょという徒然

暗くなるような話題がニュース番組で幅を聞かせているわけですが・・・。

当然のようにこのブログでも、それらについて書きたいところ、どうもこのブログを立ち上げた頃のようにそれらを徒然に記す力が湧いてこない今日この頃。

 

正直、ギリシャ債務不履行問題だとかなんてのはどうでも良いわけであります。

正直、中国の株安なんてのは株式投資についてよく理解をしていない中国国内での事故的要素が強いわけで最終的に他国に迷惑をかけてくれなければそれで良いのであります。

別にこれらのニュースが暗くなるような話題でもなんでもなく、経済的には破壊力満点な部分も否めないわけですが正直どうでも良いのです。

 

正直どうでもよくない話題がありましてね。

それは、また起きてしまった『いじめ自殺』の問題なんであります。

どうして繰り返されるんでしょうかね。これ、その類の問題が表面化するたびに社会的な騒ぎになってその騒ぎが沈静化したら忘れ去られて、またどこかで発生しての繰り返しで今日までにどれだけの命が奪われたことか。

 

今回の岩手で起きた事件なんかは亡くなってしまった生徒が何度となく毎日のようにSOSを発しているにもかかわらず、こんなことになっていまっているわけです。

生活ノートと呼ばれる生徒と担任教諭との交換日記のようなものに記載された内容が様々な報道で公開をされましたが、見るに堪えないくらい心のない対応に閉口するばかりで、『苛烈なイジメ』だけではなく『大人の事なかれ主義』の被害にもあってしまっているような感じすらするわけです。

 

子供たちが発したSOSを『大人の事なかれ主義』の名の下にスルーすることによって子供たちは心の拠り所をなくし、さらに追い詰められるわけであります。今回の少年に関して追い詰められても追い詰められても発信し続けたSOSを・・・。

と思うとやるせない気持ちでいっぱいになるわけです。

 

学校の先生だけが悪いわけではなく、もちろんいじめを首謀し加担した子供たちが一番責められるべきなのではありますが、大人があんな体たらくでは子供たちは何を信用して良いものだか・・・。

 

大人ってのはね子供たちを守る役目もあるわけなのでありますから、子供たちが安心するようなメッセージを発信し続けて大人の役目を果たしていかなければ大人である意味が無いわけです。

 

はっきり書きます。

いじめられて学校に行かなくなることは恥ずかしいことではありません。

いじめられて学校に行かなくなることは自分の身を守る手段です。

カッコ悪くないから。ガマンしなくていいから。

ってことを大人が言えないとダメなんですよ。

未来ある子供を守り育てるのも大人の役目なのであります。

それがわからない学校の先生は辞めちゃったほうがいいのかもしれませんね。

 

ということで今日の徒然はこの辺で。

 

追記

次回はこの件についてもう少し思うところあるので書かせてもらいます。