70年という月日を思う徒然

今日で70年。

もちろん僕の歳ではない。強いて言えば、うちの親父の歳ではあるが・・・。

今日2015年8月15日は第2次世界大戦の終戦を宣言した玉音放送から70年。

 

ここ最近、終戦70年ということのメモリアルなのか、そこに安保法制というマスコミにとっての格好のネタからなのかはわからないが、その類の特別番組というものを多く目にした。ドラマ仕立てのもの、ドキュメンメンタリー仕立てのもの、報道スタイルのもの様々なスタイルの番組を目にした。中には報道の悪意を感じるものすらあった。

 

ところで、この時期になると分からなくなることが一つある。

日本という国はいつまで謝り続けないといけないのか。ということ。

太平洋戦争という世界的な戦禍を知らない世代が人口の8割を越えようとする現代日本において、謝り続けることが未来に向けて良いことなのか。僕にはよくわからない。

 

70年という月日を考えた時、物事のフェースは本来いくつも先に進んでいるはず。

しかし、過去の談話という名前を借りた謝罪が一人歩きを続ける限り、そのフェーズを先に進めることができなくなっているのではないかとすら思うことがままある。

そのフェーズを深いところで前に進めるためにもうそろそろ、過去の談話という名前を借りた謝罪が一人歩きをすることを止めるためにも談話という謝罪を止めてみてはどうだろうか。それが本当の意味での戦後のスタートになるように僕は思うのだけど。

 

談話を出すことで揚げ足をとって暴走をする国もあるくらいだから・・・。

もう談話という謝罪をする意味もないのかもしれないとも僕は思う。

 

特に、昨日の「朝まで生テレビ」で自国に対する配慮が足りないと言っていた中身のない暴論を繰り広げようとした某国出身の東海大学の先生に強く申し上げたい。