自爆営業とノルマと日本郵便と

年賀はがきの自爆営業の記事が思いのほか好評でした。

話題的にタイムリーだったのかもしれないですが、「ブラック企業」のなせる業という事で興味が深かったのかもしれないのであります。

その証拠にネット上での書き込みには

 

日本郵便ブラック企業化しつつある」

年賀状の需要が落ちているのにノルマは昔のままというのがおかしい」

 

この話題を取り上げたのが朝日新聞だったと言うところにもそんな匂いを感じないわけではないのです。そして「しんぶん赤旗」あたりが後追い記事を書いて痛烈な政権批判でも繰り広げるのだろうと思うと朝日新聞もネットの住民や労働者の見方を標榜する人たちに向けて良いソースを提供したものだと思うのであります。

 

ハッキリ言って自爆営業なんてくだらないものは今すぐ止めた方が良いのです。そうしないとね、みんなの為にならないのですよ。*1 

 

前記事でこんな結びをしたのですが日本郵便の自爆営業なんてのいうはそこら中に蔓延していて、それはもう企業の商文化の1つにもなっているのも曲げる事の出来ない事実であります。

取材をすると自爆営業をしなければいけないメニューは多岐にわたる様で、例えば「エクスパック」の販売であるとか、ふるさと小包が定期的に送られてくる「ふるさと会」、こういったもの以外にも数多くのノルマが課されていて自爆をしないといけないメニューと金額は多くなる一方のようであります。

 

自爆営業なんていうのは日本郵便に限った事ではなく・・・。

酷い事に暗にそれを強いる業界まである始末で、この間違った商文化は留まるところを知らずそれが絶滅する事は無いのではないかとすら思うのです。いつの世もこれで苦しめられる人々が出てくるわけです。

 

自爆営業が日常化している業界では、

 

いやー数字足りなくて自爆しちゃった。

 

なんていう話も半分引きつった笑顔でする始末で、自爆した本人は不本意であったとしても、それは自分の意志になるわけなのでどうにもならないわけです。そこに生産性があるかと言えば、そんなモノはどこにもなく単なる無駄なだけであります。

 

今回の年賀はがきの件ではノルマにあたらないのではないかという事を言っている人たちもいます。そもそものノルマという言葉の意味を見てみると

 

半ば強制的に与えられた労働の基準量。

大抵の場合時間的強制も付加される。*2

 

とあります。

これはもともと、ロシア語であり昔の共産圏の言葉です。共産圏で計画経済運営のために必要とされた労働必要量の指標であるわけです。そんな言葉が一応、資本主義経済とされる日本の中で使われている事に違和感すら覚えるわけです。

ノルマという言葉を辿っていくとウィキペディアにはこうも記述があります。

 

未達成の場合にはペナルティ(解雇、減給、左遷、暴力、暴言)を
与える場合もある。*3

 

ここまで来ると労基法に抵触する域にまで達するばかりか暴力なんてなると犯罪にもなる場合もあるわけでもあります。今回の場合ペナルティが無かったかと言えば朝日新聞の記事を読む限りでは暴言や身銭を切るという意味で事実上の減給、もしくは人事考課への影響をチラつかせたりしているわけでノルマである事に変わりはなく益々、資本主義経済の中ではそぐわない括りであった事も伺えます。

 

そもそもですが、ノルマを課さないと販売数字が増やせないのは何故なのかを考えるのが先であって、ノルマを課して販売する事がおかしい商品だと現場の監督者が気づくべきではないかと私は思うわけです。それに気づけない現場の監督者が多いと言うのは、昔の郵政という浮世離れした世界の中でそうした事を勉強してこなかった証拠であり、民間企業になった今を生き抜くには少々難しい人々であるのかもしれません。

 

それでもなお、年賀はがきのノルマ販売は止まないでしょうしそれが人事考課の道具、非正規雇用の雇用維持の道具として機能し続ける事もこれは厳然たる事実でして年賀はがきが存在し続ける限り生き続けるのではないかと思うのです。

 

デジタル化が更に進み、年賀状という文化が近い将来にはある限られた属性だけに生き残る文化になる事は間違いないのではないかという事も考えられるわけで、こんな事を続けている限り先暗い会社の代表格とも言えなくはないわけです。

 

以前から言われている通り、日本郵便グループの大きな収益源の一つである保険事業も今なお、とんでもないデタラメが続いている事を考えると日本郵便グループに「日本デタラメ大賞」グランプリを贈呈しそのデタラメさに嘲笑を進呈したい気持ちでいっぱいなのであります。