高野連は民主化・現代化を阻む圧力団体

前回の記事に続き高野連の事について書いていきたいと思う。
というわけで前記事で高野連高体連は全く別組織で大会運営も別である事がお分かり頂けたと思う。高校生をみればインターハイを目指している高校生と甲子園球場で高校野球という試合をする事を目指している高校生は『目指せ全国!!』というところで一緒なのではあるが・・・。

ところで、この2つの高校スポーツの団体はそれぞれ全く違う側面を持っている。



そして大きな違いとして、高体連日本体育協会の関連団体ではあるが高野連は競技団体であるものの日本体育協会未加盟で無関係である。(上部組織の全日本アマチュア野球連盟が日体協加盟団体である為に高校野球の競技が国体に存在する。)

高野連日本体育協会ともいびつな関係性なのである。という事を一つ踏まえて欲しい。

さて、今回のタイトル。
何とも高野連が悪者かの様なタイトルで申し訳ないのだが、こんな資料を見つけた。

「高野連」の教育観の諸矛盾に関する研究―「高体連」との比較をとおして―

この資料は日本体育大学大学院の田寺泰久氏が調査編集したものであるがこの資料が実に面白い。どこが面白いかというと高体連高野連の違い、高野連の時代遅れぶりが明確なのである。例示という事で『「高野連」の教育観と現場との乖離』という項をご覧いただこうと思う。

1.高校や他の団体との乖離

高体連」では下からの声を吸い上げるシステムがあるが、「高野連」にはそれがない。さらに、スポーツ特待生問題についても「高野連」と各高校側、世論との意識の差は大きい。

2.ファンや地域との乖離
高校野球では着ぐるみでの応援は禁じられているが、例えば高校サッカーにおいては、着ぐるみで応援しても問題にされることはない。優勝校、準優勝校に対する地域の人々による善意のお祝いの会が「高野連」の要請から、縮小または変更された。しかし、「高体連」に加盟している競技種目では、いずれもこのような問題は起こっていない。

3.野球部監督達との乖離
不祥事によって関係のない部員が責任を取る形で出場辞退に繋がった件について、出場校の監督たちは、その選手達を気遣い、出場できないことについて総じてやるせない思いのコメントを寄せていた。

(その他はリンクからご覧いただきたい)

高校スポーツの統括団体と競技団体との比較なので多少無理はあるものの、高野連という組織は競技団体というよりも圧力団体とも言える事はお分かり頂けたと思う。その在り様は競技の国際化もしくは国際的な競技力向上を目指した他の競技団体とは雲泥の差であり、不祥事対応等を見ているとまるで軍隊の様でもある。

この様な団体が高校生の健全育成のために行う競技の統括が出来るかと言えば相当な疑問符が付く。また、多くの教育関係者以外の役員、高齢役員の存在も時代の変化に対応できない一つなのかもしれない。

そう考えた時に現在の形の高野連は21世紀の今、既に限界であり組織の体を変えて新たな高校野球組織として全国高体連硬式野球専門部・軟式野球部として生まれ変わり、高校の教員が主体的に組織運営に参加できる仕組みに変えて他の高校スポーツに準拠させた上で閉鎖的な高校野球の民主化と現代化を図るべきではないだろうか。